自由な複業ブロガー「とじー」のプロフィール(2018年10月更新)
初めまして!ご覧いただきありがとうございます!
当ブログ「ぴょんと!生き方デザインLOG」を書いている「とじー」です。ここでは、僕のプロフィールを紹介させていただきます。
私は仕事柄、よく講演をしたり、記事を執筆したりするのですが、その際はいつも「一期一会」。つまり、「今日限り、みなさんとお目に掛かるものと思って接する」というポリシーでやっています。ブログもそのつもりで「一字入魂」の精神で書いて参ります。
もちろん、「わざわざここに来てくださったあなたとは今日限りではなく、長く関係を築きたい」と私は一方的に思っていますが、それはご縁というもの。どうなるかは分かりません。
そこで、あなたとの出会いに感謝し、あなたのことも早く知りたいのですが、まずは私からの自己紹介ということで、これまでの経緯とその背景を書き出してみたら、15,000字以上の長いプロフィールになってしまいました。
長いので、気軽に流し読みしていただいて構いません。
想いを込めて綴ります。
- まずは 簡単な自己紹介
- このブログでお伝えしていきたいこと
- ブログを書くとき・読むときに大切にしたいスタンス
- 幼少期に感じた「社会の理不尽」によって「自立」に目覚める
- 部活に明け暮れた学生生活で身につけたもの
- 自分と深く向き合い始めた大学生活と一人暮らし。思い切ってテレビを捨てる
- 転機となった都税事務所への2週間のインターンシップ「公務員は僕には向いてない」という発見
- 本屋さんで出会った「ある一冊の本」
- 本は「こんな人もいるんだ」「こんな生き方もあるんだ」という事例の宝庫なんだと気づいた
- リーマンショックの年で最悪の氷河期に就職活動が始まった
- ある大企業の面接で「この会社はダメになるな」と思った
- 就職活動で感じたのは「面接というシステムへの違和感」
- 9年間勤めているこの「経営コンサルティング会社」に入社を決めたきっかけ
- 就活はめんどくさいけど、初めて自分と真剣に向き合う良い機会だった
- やりたいことをやり尽くした大学最後の1年
- 入社式で聞いた「創業者の命懸けの一言」が、その後の社会人人生の指針になった
- 中小企業の経営者をサポートする実践的な経営コンサルティングという仕事
- ある経営者から言われた一言「あなたがいなかったら、今自分は生きていない」
- 夢・目標は、60歳までに100カ国旅すること。80歳までに150カ国旅すること。
- 9年勤めた会社を辞める決意を固めた
- 奥さんとの出会いと結婚
- お腹に新しい生命が宿ったことがわかった!
- プロフィールの最後に「お読みいただいたみなさまへ」
まずは 簡単な自己紹介
文字数が多いので、ここだけでもざっくり感じ取っていただけるように、まずは簡単な自己紹介をさせていただきます。
今は現役の経営コンサルタントが本業(2018年10月時点)です。
今までもいろいろな仕事に関わってきていますが、より自由で多様な「複業・パラレルワーカー」として活動していきたいと思っています。
ざっくりこんな人間です。
- 経営コンサルタント9年目
- BtoBマーケティングを中心に中小企業の業績アップ支援をずっとしてきた
- 全国出張たくさん、たまに海外出張
- 年間50回〜150回の講演(経営層向け)
- 日経BPにて連載記事2回(うち1回は史上初めてランキングトップ10を一時独占)
- BtoBマーケティングに関する共著の出版
- あることが理由で軽いうつも経験
- 旅好き。夢は「60歳までに100カ国、80歳までに150カ国を旅すること」
- 趣味は、旅(国内・海外)、読書、ドライブ、キャンプ、全国の美味しいお店探し、全国の美味しい地酒探し、最近あまりやってないけどフットサルとサーフィン
- 年間200冊以上の読書を10年継続中(書評も書きます!)
- 株式を中心に投資を9年くらい
- 現金持ち歩きたくない、モノもなるべく減らしたい
- 特技は、餃子を上手に焼くこと、野菜の千切り(目をつぶりながらでも細〜くできる)、りんごの皮むき(包丁で一度も途切れずできる)
- 複業・パラレルワーカーとしての自由度をもっと上げていこうとしている
- 結婚2年目
- もうすぐパパ(一人目)
- 子どもが2019年4月に産まれる予定なので、いったん本業としての仕事は12月末で休んで、奥さんのサポートと子育てに専念しようと思っている
幼少の頃から、割と自分でやりたいと思ったことを自由にやらせてもらってきたと思います(親と奥さんと周りの方々に感謝!)。
仕事にも本気で打ち込んできて、普通だったらあまりできないような経験をたくさんスピーディーにさせてもらった、濃密で貴重な20代だったと思います。
これからはその経験を活かせるかどうかは全く考えず(笑)、さらに自由に面白くやっていきたいと思っています。いきなり「この会社の代表になるから」とか「来月からアフリカ住もう」とか「次の旅は宇宙ね」とか、前触れもなく奥さんに言ってしまうかもしれません(笑)。あ、宇宙に行くことは目標ではあります。
このブログでお伝えしていきたいこと
- 自由に生きるためにやっていること(スタンスとスキル)
- 日々学んだこと、感じたこと
- 複業の仕事術
- 自由なキャリア形成のこと
- 夢と目標のこと
- お金・資産運用のこと
- お金やモノに執着しなくても、心穏やかに楽しく生きるコツ
- 奥さんが妊娠しているときのダンナの立ち回り(笑)
- 子育てのこと(まだ産まれてませんが今後!)
- 良好な人間関係とコミュニケーションのこと
- タイムマネジメントのこと
- 新たなチャレンジの軌跡
- 人生を変えてくれた本の紹介
- 旅先でのこと
- 自由に生きるのに便利なツールのこと
- テクノロジーのこと
- 経済のこと
- 海外のこと
などです。いろいろな実体験を元に書いていきます。これからも、もっと様々な経験を積んで「濃い情報」を積極的に発信していきたいと思っているので、ぜひ応援していただけるととても嬉しいです!
ブログを書くとき・読むときに大切にしたいスタンス
僕がブログを書くときに大切にしたいと考えているスタンスは、「みなさんが経験しないことも経験して、実体験を代行する。そして、それをシェアさせていただく」というスタンスです。
人それぞれ経験することやそこから感じることは異なるはずです。だからこそ、私は私なりに動いて経験を積み、そこで感じたことや学んだことを発信していきます。
また、みなさんの実体験もブログやSNSなどを通じて読ませていただけたら嬉しいと思っています。
そういう、双方向な良い関係を築けたらとても嬉しいと思っています。ぜひ気軽に絡んでいただけたらと思います。
さて、ここからは、もう少し詳しく、僕のことをお伝えしていきます!
幼少期に感じた「社会の理不尽」によって「自立」に目覚める
僕は基本的に、「自分で決める」「自立する」ということを人生においてとても重要視しているのですが、その根源がどうも幼少期の実体験にあるように感じています。
僕は3人兄弟(全員おとこ)の真ん中で、実家は3LDKのマンションです。子ども部屋は2つだったので、もの心ついたときから兄がひと部屋、私と弟でもうひと部屋という間取り構成でした。
そして、あれは小学3年生くらいのときだったと思います。私はテレビゲームというものをあまりやってこなかった(ウィニングイレブンとドラクエ7くらい)のですが、兄と弟は結構好きでした。
テレビゲームは私と弟の部屋にあったのですが、あるとき、使い終わったテレビゲームやらソフトやらがちゃんと片付いてなかったんですね。それで父親に怒られたんです。
なんと、「連帯責任」の名の下に、そのときゲームをやっていなかった私まで!笑
私は昔から、「これはここに置く!」「これは2段目の引き出しのココ!」という具合に、基本的にものを置く場所を決めてる子だったんですね。なので、あまりものを散らかさないタイプでした。
それでも「連帯責任」の名の下に怒られた。確かに、私も放っておいたのは事実ですし、親が買った家ですから(笑)、そのルールには従う必要があります。
でもそのとき、幼少ながらに悟りました。
「あぁ、社会というのは理不尽なんだ・・・」と。
そして、「自分が好きなように生きるには、自立して、自分の城が必要なんだ・・・」と。
そこからでした。私が「一人暮らし」を志し、「自立」に目覚めたのは。笑
このときに、今も生きる基本指針となっている「自分で決める」「自立する」という、自由に生きるために欠かせないスタンスが生まれたのです。
そして、後述しますが、大学に入ってから念願の一人暮らしをさせてもらえることになるのですが、このときの一人暮らしが、自分と深く向き合うために必要な「時間と場所」を確保する上で、その後の人生にとても役立つことになるのです。
部活に明け暮れた学生生活で身につけたもの
小学校、中学校、高校は、基本的にサッカーに明け暮れていました。
今振り返ってみると、何をこのときにもっとも身につけたのか?
「生涯の友」と言える仲間・友人というもひとつありますが、もうひとつ身につけたものとして大きかったのは、「逆算思考でやりきる力」です。
特に高校生のとき、それなりに進学校で、サッカー部は全国制覇を目指すくらいの強豪校でした。文武両道です。その高校にしか行きたくなかったので、学力が「中の中」くらいだった中学生の僕も、3週間死ぬ気で猛勉強してなんとか合格できた高校だったのです。
そして、高校3年生の冬、全国大会には行けなかったのですが県予選上位まで勝ち進み、引退したのはセンター試験のちょうど3ヶ月前。それまで部活ばかりで、周りに大幅な遅れを取っていました。
親は「浪人してもいいんだよ」と言ってくれたけど、1年間も受験勉強できる気がしなかったし、中学のとき短期間の猛勉強で、無理だと思われていた高校に合格したという成功体験もある。そして、現実的に残された時間を考えると、いくつも大学受けるのも得策ではない。絞ろう。ということで、ひとつの大学に絞って勉強することにしました。
いつ、何を勉強するか、戦略的にゴールから逆算して自分で考えながら、その自分の意思決定のひとつひとつを信じながら、予備校にも行かずに独学で勉強していきました。
集中力はそれなりにあったので、1日15時間くらい、自分の椅子を紐でくくり付けてサボらないように律しながら(笑)勉強しました。そんな生活、浪人してもう1年間は絶対ムリですね(笑)。
結局、なんとか絞り込んで受けた国公立大学に合格できたのですが、これらの経験から身につけたのは、「目標を定め、戦略的に逆算思考で、いつ何をやればいいかを自分で考え、ときに柔軟に修正しながら進んでいき、やり切って結果に繋げる力とその成功体験」だと思います。
この経験が後に、人生を自分で描いていく生き方の実践や、経営コンサルタントとしての仕事に役立つ基礎になったのだと思っています。
自分と深く向き合い始めた大学生活と一人暮らし。思い切ってテレビを捨てる
大学生活に入り、一人暮らしが始まります。念願の一人暮らしです。
ウキウキしながら家具を揃えて、という感じでした。
小さいながらも自分の城を持てた気がして、親にもわがままさせてもらったので、「この環境を最大限に生かそう」と思ったのをよく覚えています。
大学生活は、「1年・2年で単位取得とバイトを頑張ろう」「3年は就活かな」「4年は社会人になる前に遊びまくろう」とざっくりビジョンを立てました。おおよそ描いた通りにできたと思います。
もちろん途中、なんとなくテレビつけてドラマとバラエティー観て気づいたら3時間くらい平気で経ってしまっていた、なんてことはよくありました。「これはマズい。実家でもできることを一人暮らしの環境でやってしまっている」なんて感じて、だから結局、テレビはすぐ捨てました(笑)。
でもこれが良かった。音もなく、静かに過ごせて、自分と向き合う「時間と場所」を確保できました。読書もして、人の様々な価値観に触れることの意義にも、このとき初めて触れたのです。
そして、「テレビって要らないな」ってことにも気づけました。これだけで、有意義な時間をどれだけ増やせるか!
テレビは面白いし、今でも観ることはあるけど、マズいのは「自分の意志は関係なく、何となくテレビ付けて観てしまっている」というケースです。これは時間を奪われているということ。
観るなら、「観ないという選択肢もある中で、それでも自分の意志で観ている」という心持ちかどうか。この違いが、自由に生きる上での決定的な違いなのだと思っています。
私は総合的に考えて、「家に帰ってきたら何となくテレビを付けるものだ」という思考停止状態で時間が奪われてしまっていることが多く、かつ、それほど良い情報でもないと判断し、そのことに気づいたら即、捨てることを決断して粗大ゴミの申し込みをしたという感じでした。
こうやって一人暮らしをすることで、「良くも悪くも、自分の責任で全部形作られてしまうという」ことを学べましたし、同時に「自分で良い方向でやっていこうとするには、自分自身で目の前の現実を変えていくしかないんだ」という当たり前のことに気づけました。でも、この気づきは大きかったと思います。
転機となった都税事務所への2週間のインターンシップ「公務員は僕には向いてない」という発見
私が志望大学を絞り込んだ際に条件としたのは、「一人暮らしを親に許してもらうために実家からそこそこ遠い」というものだけではありませんでした。
何かというと、「公務員になれる可能性が高いこと」というものでした。
今では考えられませんでしたが、高校3年生のとき、祖母から「公務員がいいわよ〜」「中でも都庁なんかいいわよ〜」と言われました。
特にやりたいことも特別なスキルもなかった僕は、その意見を鵜呑みにし、「確かに都庁なら悪くないかも」なんて安易に思って、都庁と関係がそこそこ深いという話を聞いた大学として、志望したのでした。
要するに、思考停止していた訳です。「自分で決めていなかった。ただ他人の言っていることを鵜呑みにしていただけだったんだ」と、後で気づくことになるのです。
そのきっかけとなったのが、「都税事務所への2週間のインターンシップ」でした。
大学1年の夏休みにインターンシップに行かせてもらいました。大学と都庁が連携している単位も取得できるやつです。
そして、2週間、とある区の都税事務所に2週間、行かせていただきました。
緊張しながら初日の訪問。いろいろな説明をしていただき、職場も見学させていただき、少しお仕事も手伝わせていただいたりしました。
とても貴重な機会でした。
でも、初日が終わった私の感想は、「自分には合っていない・・・」ということでした。
公務員をやられている方には大変失礼な話ですし、これはあくまで私の主観でしかありませんのでご容赦いただきたいのですが、確かにそのとき感じてしまったのは、いわゆる「お役所仕事感」でした。
あまり熱意を持って仕事をされている雰囲気を感じず、何となく流れ作業な空気を感じてしまったのです。自分自身も時計を見ながら「あと1時間かぁ」なんて思ってました。(本当に失礼ですね!公務員のみなさん本当にごめんなさい!)
そこで当たり前のことに気づいたんです。「仕事には向き不向きがあるんだ」と。
公務員のお仕事が向いている人はたくさんいるだろうし、そうじゃない人もいる。どちらが良いとか悪いでもない。生き方としてどちらも有りなんだけど、自分がそれをやりたいかどうか、つまり向き不向きがあるということに気づきました。
そして「自分には向いていない。40年近くもここで勤め上げるのは自分には無理だ」と、そう感じてしまったのです。
2週間のインターンシップに参加させていただいて良かったのは、「自分の人生の中から公務員になるという選択肢をスパッと捨てられたこと」、「他人(身内ですが)の意見に縛られて自分の人生を決めようとしていた自分に気づけたこと」、前述しましたが「仕事には向き不向きが合って、自分に向いている仕事は自分で見つけないといけないいということに気づけたこと」でした。
公務員という選択肢ではない以上、何らかの形で民間企業とかビジネスとか、そういう世界で生きていくんだろうな〜みたいに思っていました。でも、何に興味があるのか、どういう仕事が自分に向いているのかは、相変わらず分からなかったのです。
そこで私が取った行動は、「本屋さんに行って、全コーナー回って、自分が何に興味を示すのかを試してみる」というものでした(笑)。
そこで、人生を変える「ある一冊の本」と出会うことになるのです。大学1年の夏休みが終わるくらいの、秋が訪れはじめた頃でした。
本屋さんで出会った「ある一冊の本」
大学の近くにあるTSUTAYA書店に行きまして、「とりあえず全コーナー見てみよう!」「興味を持った本を試しに一冊買ってみよう!」とあらかじめ決めて歩き回りました。
今でこそ本はそこそこ読みますが、当時は一冊もきちんと読み切ったことがありませんでした。漫画オンリーでした。
それでも、「自分が何に興味を示すのか、とりあえず偏見なしに一回試してみよう」という想いで、ふら〜っと全コーナー見て回りました。
園芸やら日本刀やら、今まであまり触れたことのない分野の本もたくさんありました。
「色々あるな〜」なんて思いながら、とりあえず見て回りました。
資格の本とかも見て、
「税理士かぁ・・・全然興味わかないなぁ・・・」
「司法試験かぁ・・・これも全然興味わかないなぁ・・・」
「英語は、いつか留学でもして本格的に勉強したいなぁ・・・」
なんて思ったのを覚えています。
でも、なかなかグッと心が惹きつけられるようなものはありませんでした。
ところが、「ビジネス書・自己啓発コーナー」に行ったとき(当時はそんなジャンルの本があるなんてことすら知りませんでしたが笑)、そこに並べられている本には、自然と興味を惹かれたんです。明らかに、他のコーナーを見て回っているときと比べて、自分の心のテンションが上がっているのを感じました。
そこで「ある一冊の本」になんとなく興味を持ちまして、パラパラっとめくって軽く立ち読みしてみたんです。そして、目に飛び込んでくる言葉の数々にとても魅力を感じました。
「よし!とりあえず、この本を買って読んでみよう!」
ということで、早速、買って読んでみました。その本がこれです。
この本が、私が初めて購入して読んだビジネス書です。
この本は「世界から認められて有名な外資系企業の経営トップにまで上りつめた12人の方々が、これまでどのように仕事をしてきたか?」ということがそれぞれの自伝みたいな感じで書かれた本です。
そして、概ねその内容・ストーリーは、「お一人お一人が、若い頃からとにかく仕事に熱中して、たくさん経験を積んで、海外とかにも行きながら、失敗や挫折もしながら、でもそこで諦めずにチャレンジし続けて、学び続けて、自分を磨いて、結果を出して・・・で、今に至る!!!」というような、ものすごく大雑把に言うと(笑)そういうことが書かれていたんです。
世間のことをよく知らなかった大学1年生の僕は、「こういう人たちがいるのか!」「こういう生き方があるのか!」と、すごく胸が熱くなりました。
そして、「公務員のインターンシップで感じなかったのはこういうことか!」と腑に落ちました。もちろん公務員の方でも仕事に熱中している方はいらっしゃると思いますが、「自分自身は公務員のお仕事では、おそらくここまで熱くなれない」と思ったということです。
さらに、「自分自身も、(外資系かどうかは分かりませんし、経営トップになるのかも分からないけど)この人たちみたいに仕事に楽しく熱中しながら成長できるような大人になりたい!」と思いました。
そして、読み進めながら、実はもうひとつ気づいたことがありました。それは、この本に取り上げられている12人の経営者のうちの結構な割合の方が、経歴として「経営コンサルティング会社を経ている」ということでした。
「経営コンサルティングって何だろう?」 と思いながら読んでました。「具体的なイメージは分からないけど、『経営』って文字が付くくらいだからきっと経営に関連する仕事で、その後社長になっている人も多いってことは、それなりに成長しやすい仕事なんだろうな」という解釈をして、興味を持ちました。
そして、後にやってくる「就職活動」の時期に、「やっぱり経営コンサルタントになりたいな」と思って、何とか縁あって経営コンサルティング会社に入社することになるのです。この辺りもまた色々あるので後ほど。
本は「こんな人もいるんだ」「こんな生き方もあるんだ」という事例の宝庫なんだと気づいた
そして、この本がきっかけで、本を読むことのメリットが少しずつ分かってきました。
私がこのとき感じた本(特にビジネス書・自己啓発系)を読むメリットは、「色々な人の生き方や学びを、効率的に追体験できる」ということです。
いかに今まで視野が狭かったか。
それを、本を読むことで「こんな人もいるんだ」「こんな生き方もあるんだ」という選択肢が広がるわけです。その事例の宝庫が本なんだと分かりました。
そして、「それらのあらゆる選択肢の中から、自分がどういう生き方をしたいのか」を自分で決めていくための情報材料になるんだと気づきました。
そこからです。少しずつ本を読み出したのは。
一人暮らしをしていたアパートから徒歩5分くらいのところに、大きなブックオフがあったのも助かりました。100円とか750円とかの古本を買い漁ってました。
大学4年の卒業する間際には、 一人暮らしの部屋もこんな感じになっていました。
汚いですね。笑
リーマンショックの年で最悪の氷河期に就職活動が始まった
大学2年までは、割とマジメに授業にも出てました。卒業に必要な単位も、あとでギリギリで苦しまないように取れるだけ取って。
バイトもなるべくして貯金してたりしました。3年は就活、4年は遊ぶことになるべく専念するためです。
そして、大学3年になると就職活動が始まりました。
当時は2009年で、リーマンショックが起きた年です。
なので、かなりの氷河期でした。最近の「人手不足の売り手市場」とは真反対の状況でした。でも今考えると、それも良かったと思います。厳しいからこそ、自分のことについて真剣に考えるようになったし、何より、自分と合わないような会社に安易に入るようなことが結果としてなかったからです。
とりあえず就職活動と言っても何をすればいいのかも分からなかったので、リクナビとマイナビに登録して見ました。そこで色々な会社が掲載されているので、とりあえずエントリーしていく訳です。
もちろん、経営コンサルティング会社はいちばん興味がありましたからエントリーはしましたが、でも結構な狭き門ということも聞いていました。氷河期だからリスクヘッジもしておこうと思って、異なる業種の会社もとりあえずエントリーしておこうという感じでした。
ところが、どの会社にエントリーしたらいいのかよく分からない。
色々な会社がとにかくたくさんありすぎて、自分の中で「この会社にはエントリーする。この会社にはエントリーしない」という判断基準が特にない訳です。
するとどうなるかというと、「聞いたことがある、知っている会社かどうか」でしか判断できなくなります。私のような普通の大学生が知っている会社なんて、必然的にテレビCMで見るような、大手企業ばかりになってしまう訳です。
「ん〜、こんなんでいいのかなぁ」なんて不安に思いながら、でもそうするしかないというような感じでした。
ある大企業の面接で「この会社はダメになるな」と思った
いざ本格的に面接が始まってくる時期になるんですが、エントリーシートでとにかく落ちる。僕は普通の大学生でしたから、人事部の方の目に止まるような項目が書けない。採用枠もどの会社も減らしていたから、とにかく落ちまくる。面接にもたどり着けないことが多かったです。
そんな中でもなんとか面接にたどり着けた会社で、自分なりに頑張っていました。
そして、ある会社の面接で強烈な違和感を抱いたのです。そこは誰もが一流企業と言っていた某S社さん。超有名な一流企業ということで、ものすごい数のリクルートスーツを身にまとった学生が、広い面接会場を埋め尽くしていました。
面接官の方も学生一人一人に時間をかけていられないのでしょう。面接が極めて流れ作業的で「なんだかベルトコンベアーみたいだなぁ」と思ったのを覚えています。時間も5分もないくらいでした。
そして、私を面接してくださった男性の面接官の方の印象も悪かったです。いかにも「ウチは一流企業ですよ。そこで面接官してる私はスゴいっしょ?」みたいな態度でした。当時は買い手市場でしたし、仕方ないかなと思いました。
でも僕は、率直に「この会社には行きたくないな」と思いました。まぁ、案の定、落ちるんですけど(笑)。
そして、「この会社、絶対に業績悪くなるな」と直感しました。なぜかというと、「人をまるで工場を流れるモノのように扱って、たったの5分できちんと見極められるならいいけど、俺みたいなヤツを結果的に落とすくらいの眼力しかないのに(笑)、そんな人に面接官を任せているような会社だったらこの先きっとダメだな」と。
かなり偉そうな話ですけど(笑)、本当にそう思いました。
確かに僕は、当時は何の取り柄もない普通の大学生でしたが、「入社させてくれたらめちゃくちゃ仕事しますよ!」という自信だけはありました。なぜなら、読んできた本から「そういう生き方をする!」と決めていたからです。
でも、それを面接の場で証明する根拠がない、という感じでした。そこが僕の弱点でした。
そして、この会社の創業者の本を読んでいたので、その会社の人の対応を見て、「創業者が本に書いていた内容とだいぶ違うなぁ。もう創業者も亡くなってだいぶ経つから、その精神が失われてるのかもしれないなぁ」と感じました。
このとき分かったのは、「一流企業に育ててきた人たちと、既に一流企業と呼ばれる会社に後から入社したという人たちとでは、大きな差があるんだ」ということ。
結果的に、その会社はその後、史上最大の損失を出すことになるのです。リーマンショックの影響は大きかったと思いますが、本質的な原因はそこではないと僕は思っています。
就職活動で感じたのは「面接というシステムへの違和感」
他の会社でも面接は続くのですが、僕は面接というシステムというか、そのやり方というか、基本的な構造にとても違和感を抱きました。
面接の場ではよく、「3分間で自己PRしてください」とか「あなたの長所を3つあげてください」とか言われます。
そして学生はどうするかというと、自分のことを等身大より大きく見せようとし、それが上手い奴が次の面接ステージに進んでいくという流れがほとんどです。
そんな表面的に取り繕った情報で、会社の未来を担う人材を見極めようとするなんて、聞く側も、答える側も、バカバカしいなと思いました(笑)。
先述した通り、僕は意気込みだけはあったけど、それを伝えるための中身ある根拠が乏しかった。
だからこそ、より一生懸命に取り繕おうとするんです。
でも本当に恐ろしいのは、そういう面接が続いてくると、「自分をちょっと良く見せるために取り繕う状況」というものに慣れてしまうんです。何が本当に自分が感じていることで、何が取り繕われた自分なのか、だんだん分からなくなってくる。そうやって就活生たちは本音を見失ってさまよっていくんですよね。本音を出すことにも怖くなっていってしまうんです。これは、就職氷河期だったからなおさらだったかもしれません。
結果的に、企業側もその学生の本音や本質的な部分が見えないから、自社に合わない人を採用してしまったりする訳です。
それで面接に合格して「次のステージに進んでいいですよ」って言われても、取り繕った自分を評価してもらっているだけなので、本当の自分を評価してもらっている気になれない。
面接に落とされても、「本質的な部分を見ずに、あんな表面的な面接で判断するなんて」ということになります。
そんな面接の基本構造にすごく違和感があって、「こんなんで人生において大切な仕事を決めていいのかな」と思ってました。
相手に取り入るために自分に嘘を付いているように感じて、毎回、面接が終わるとグッタリ疲れていました。
でも、そんな違和感を抱えている中で、ある会社に出会いました。採用プロセスがとても自分の腑に落ちるような会社でした。
そこが、後に入社することになる「経営コンサルティング会社」だったのです。
9年間勤めているこの「経営コンサルティング会社」に入社を決めたきっかけ
面接に対する違和感を抱えながらも受けていきましたが、なかなかうまくいかないものです。それはそうです。なんとなく受けた会社ばかりでしたから、大した動機もなく、面接でいかにうまくこねくり回すか、みたいな感じだった訳です。
そんな中で、やっぱり本命の経営コンサルティング業界も受けていました。
いくつか受けましたが、やはり狭き門。
特に、外資系の戦略系コンサルティングファームは、周りの学生が東大の大学院を出てて帰国子女でとか、そういう人たちばかりでした。これは自分が闘うべきフィールドではないなと思いながら、淡い期待すら持てない状態で、さながら「記念受験」という感じでした。当然、あっけなく不合格です。
そして、後に入社することになる会社と出会います。
きっかけはやはり本でした。
創業者の本を読んで、考え方が合いそうだと思ったのです。
採用選考を受けていくと、これまで抱いていた違和感があっただけに、新鮮でした。
面接というものはほとんどなく、グループワークばかりで、特に自己PRさせられることもなく、それでも次のステージに進ませてくれました。
そして、採用選考の各ステージで、社員の人からフィードバックがあって、その内容がめちゃくちゃ勉強になりました。時には、「これを知らずに生きていたらとんでもないことになってたかも」というような「人生の深い学び」も得られました。
例えば、面接慣れしてしまっていたのか、僕が少し自己PRしようものなら、「それでクライアントさんの業績どれだけ上げられるの?」と、なかなかグサっと来るようなことを言われるくらいでした。それは決して冷たく言われてたのではなく、「働いたこともない今の状況で何もできないのは当たり前なんだから、今は自分を良く見せることを覚えるよりも、何もできないことをまず認めた方が成長できるよ」というメッセージでした。
経営コンサルタントですから、表面部分ではなく、人の内面を見抜く力がこれまで受けてきた会社と比べ物にならない印象でした。良く言えば、きちんと「人」を見てくれる。そして、その「中身」を見てくれる。悪く言えば、見透かされているような怖さもありました。
「本に書いてある創業者の考え方にも共感が持てたし、書いてある内容が浸透していることを社員の人の対応の節々からも感じることができたし、何より採用の段階でこれだけ多くのことを学べるんだから、ここで一生懸命仕事したらそれなりに成長できるんじゃないか」と思って、「多分ここだな」と直感しました。
僕の就活の軸は、「お金を払ってでも行きたい会社かどうか」でしたが、まさにその軸に合っていると思いました。
結果的に、ご縁があって拾っていただけることになったのです。
このときの採用担当者の方には、何の取り柄もなかった僕の本質的な部分と向き合ってくださって、今でも本当に感謝しています。
就活はめんどくさいけど、初めて自分と真剣に向き合う良い機会だった
僕は10年連続で、出身大学で就活生に対して講演してきたのですが、いつも聞きに来てくれた学生に申し上げているのは、「親の意見に流されるでもなく、友人への見栄に左右されるでもなく、自分が納得できる会社だったらどこでもいい。極端な話、本気で自分と向き合って意志を持って決めたなら、就職なんてしなくたっていい」ということです。
就職するにしても、起業するにしても、大学院に行くにしても、本当にその決断は自分で下したものかが大事だと思っています。
つまり、「自分自身が自分の主人になる」ということ。
何か取り柄があるでもなく、やりたいことも絞り切れていない、かつての僕のような普通の大学生は、なまじっかそれなりに良い大学を出ていると特に、得てして安易に有名な大企業を選びがちです。本人はそれなりに考えているつもりでも、本音は他人の目を気にした見栄で選んでいたりします。いわゆる思考停止状態です。
確かに、「君どこの会社行くことにしたの?」「あぁ、どこどこの会社に行くよ」「えーすごいじゃん!有名企業じゃん!」ってなって、一時的な優越感はあるのかもしれません。でも、そんな小さな見栄で選んでしまったら、それ以上の仕事の喜びは望めませんよね。僕はそう感じています。
だから、有名な大企業に就職するのが悪いのではなくて、そこにどれだけの自分の想いが込もっているのかということです。
そういうことが大事だと感じた就職活動でした。
やりたいことをやり尽くした大学最後の1年
就職活動を終えたのが、大学4年になったばかりの4月13日でした。内々定をもらった日です。その日に決断しました。
正直、早く就活なんて終えて、とっとと遊びたかったというのもあります(笑)。
その日の夜、開放感と共に何をしたかというと、残りの学生生活ほぼ丸一年の間にやりたいことを思いつく限り全部紙に書き出していきました。
スカイダイビング、富士山登頂、九州一周、ヨーロッパ旅行、途上国の暮らしを見に行く、海外ボランティア、サーフィン、スキューバダイビング、シュノーケリング、外国人の友達作る、オーストラリアへの語学留学、本読みまくる、本の著者のセミナーに参加する、いろんな社会人の方と接する・・・などなど。
その他、誘われたら基本的に参加するようにしていました。
「働き始めたらお金はあっても時間はないかもしれない。今はお金はないけど時間はある。なら、仕事を始めたらできることは今やりたくない」そう思いました。
全部やるには正直お金が足りなかったのですが、「丸一年も自由な時間があるなんて、人生の中でもしばらくないだろうから、借金してでもこの一年はやりたいことをやろう」と決め、それまで手をつけていなかった奨学金を切り崩しながらやっていきました。
そして、しばらく休みなんかなくても良いくらい(今だとまずいですが笑)仕事に専念するために、学生のうちに遊び切って社会人としてのスタートを切りたかったというのもあります。
やりたいことを書き出した後は、全部、「いつやるか」を決めてスケジュール帳に書き込んでいきました。そうしたら、書き出したものは全部、やり切ることができました。入社式の前日まで九州で遊んでいたくらい、みっちりでした。
あの一年間での経験は、その後の人生にも生きていると感じます。
一番良かったのは「全部自分で決めた」ことです。自分で「こうする!」って決めて、それをひとつひとつ行動に移していく。人生を自ら舵取りしていく感覚とその充実感を味わうことができました。
そこでの経験は、ひとつひとつここでは書ききれないので、今後、別の記事で書いていきたいと思っています。
入社式で聞いた「創業者の命懸けの一言」が、その後の社会人人生の指針になった
やりたいことをやり尽くした大学生活を終え、いよいよ入社。
その入社式で、創業者(故人)が病気で体調が悪い中、私たち新入社員に向けて話をしに来てくださいました。
そのときに受け取ったメッセージは、「世のため人のためになることを、命懸けでやりなさい」ということでした。
まさに命懸けで話してくださった様子は今でも忘れません。
この言葉が、社会人として、経営コンサルタントとしての指針になりました。
中小企業の経営者をサポートする実践的な経営コンサルティングという仕事
私がやってきた仕事は、全国の中小企業様の業績を上げるコンサルティングです。
単に調査や戦略を提言するだけでなく、それを実行していくための実践的な現場サポートも継続的に行うスタイルでした。だから机上の空論が基本的にない形。
私が担当してきたのは主にBtoB企業様向けのコンサルティングでした。
システム開発会社、OA機器販売会社、人材派遣・紹介会社、運送・倉庫業、税理士・司法書士などの士業、製造業、大手ショッピングモール、車販店、カー用品店などに対して、経営戦略・マーケティング戦略・商品戦略・採用戦略・マネジメント戦略・ICT戦略と、その実践・実行の支援をしてきました。
社内の先輩にもたくさんお世話になったことで、様々なプロジェクトなどの仕事に参画させていただき、貴重な経験を積むことができました。
経営層の方向けの講演も年50回くらい、多いときは200回くらいやっていました。
日経BPの連載記事も2回行っており、そのうち1回は、購読ランキングトップ10を一時独占するほどお読みいただき、それがきっかけで共著ですが本も出版されました。
年に1〜2回は海外の先進企業への視察などにも参加してきました。アメリカ、中国、ドイツ、フィンランド、スウェーデン、エストニア、ラトビアなどに行きました。
どれも貴重な体験でした。
とりわけ、中小企業の経営者という命懸けで仕事をされている方々と直接的に相対し、成果を出すことにコミットして仕事をしていくのは大変なプレッシャーではありましたが、やりがいもありました。
その中でも、ある経営者(関東)から言われた一言は、特に印象に残っています。
ある経営者から言われた一言「あなたがいなかったら、今自分は生きていない」
この社長様は、100年以上続く老舗企業の後継ぎ経営者で、会社を引き継いでから5年間、赤字が続いていたそうです。
なんとか、立て直すために号令を掛けるけど、先代の社長(当時会長)の影響が強く、古参社員の中でもなかなか思うように改革を進められなかったことに相当に苦しまれていたそうです。
心を壊し、1年半ほど出社できなくなり、一時は、気づいたら駅のホーム際に立っていたそうです。
そんなときに、私たちから送らせていただいた経営セミナーの案内を見られて、「これに参加して、ダメだったら死のう」と藁をもすがる想いで参加されたと、後で教えてくださいました。
そこからお付き合いが始まり、なんとか一緒に頑張り、1年で黒字化することができたのです。決算賞与も従業員さんに出すことができ、とても嬉しそうだったのを覚えています。
後から言われたのは、「あなたがいなかったら、今自分は生きていない」ということです。これを聞いたときは、もちろん嬉しかったですが、それ以上に、経営者という命懸けで仕事をしている人の力にもっとなれるように、もっともっと腕を磨かないといけないということを感じ、改めて身が引き締まりました。
命懸けの経営者を、命懸けでサポートするというこの仕事の責任の重さとやりがいを強く感じた瞬間でした。
夢・目標は、60歳までに100カ国旅すること。
80歳までに150カ国旅すること。
僕は日本が大好きですし、日本人であることに誇りを持っているつもりです。
そして、海外を旅することも大好きです。
目標は、60歳までに100カ国旅すること。 80歳までに150カ国旅すること。
まだまだ20数カ国くらいですが。。。先は長い。
中でも、アフリカなんか好きなんですよね〜。住みたいとも思ってます。
もう少し経てば、もしかしたら生きてるうちに宇宙にも行けるかもしれない。どんどん現実的になってきていると思っています。
行きたいですね〜。全世界! 宇宙!
9年勤めた会社を辞める決意を固めた
なんだかんだで、経営コンサルタントの仕事をやらせてもらって、もうすぐ9年です。やりがいある仕事ではありますが、色々とありまして、2018年退職ことを決意しました。
今までも経営コンサルティング、講演、執筆、海外企業視察など、割と自由に、ある意味、複業的な働き方ができていたのですが、これからはさらに個人としての複業・パラレルワーク色を強めて、楽しく自由に色々な仕事をしていきたいなと思っています。
奥さんとの出会いと結婚
僕には愛する奥さんがいるのですが、2017年の2月に入籍しました。
現在、結婚2年目です。
もともとは高校の同級生ですが、当時は3年生のときに同じクラスになったくらいで、お付き合いはしていませんでした。
社会人になって5年目くらいのときに再開して、何度か飲むようになりました。
そんな中で、相性がいいなと思って、お付き合いを申し込みました。
そのときには、勝手ながら「たぶん結婚するのはこの人だな」と思っていました。
プロポーズは、モーリシャスというアフリカのリゾートアイランドでしました。
上の写真は、目黒雅叙園で挙げた式のものです。
これから生涯、歩んでいきたいと思える伴侶に巡り会えたこと。
これは本当に幸せなことです。
お腹に新しい生命が宿ったことがわかった!
まだ産まれていませんが、奥さんのお腹には新しい生命が宿っています。
発覚したときは、本当に感動しました。
予定日は2019年4月です。
母子ともに健康に産まれてくれるよう、夫として、パパとして、しっかりとサポートしていきたいと思っています。
子どもが産まれると分かったことで、奥さんのためにも、子どものためにも、自分のためにも、今の仕事を辞めることに対する決意がより固まりました。普通、逆ですよね。。。笑
そして、もっともっと自由な時間を作れるようにするためにも、ブログには力を入れていこうと思っております!╭( ・ㅂ・)و
応援してくれたら嬉しいです!^ ^
プロフィールの最後に「お読みいただいたみなさまへ」
ここまでの長いプロフィールになると思っていませんでしたが、ここまで読んでいただいた中でもしかしたら感じてくださったかもしれませんが、私の根本的な価値観は「自由に生きる」ということです。
そして、私なりの「自由」というのは、「あらゆる選択肢がある中で、どうしていくかを自分自身でデザインして決めていく」ことです。
まさに、このブログのテーマは「他人の枠に縛られず、人生を自分らしく、自由にデザインしていく」ということです。
そのために実践してきたこと、学んだこと、みなさんのお役に立てるかもしれないと感じたことなどを書いていきたいと思っています。
これからみなさんと、お互いに自分らしい生き方をして、「私はこうしてきたよ」「僕はこうしてきたよ」と、刺激し合えるような関係になれたら、とても嬉しく思っています。
ぜひ、ブログやSNSなどでも交流できたらと思っております。
とじーのSNSアカウント
◆Twitter:https://twitter.com/dy2AAhECWgeSlGJ
これから、どうぞよろしくお願いいたします。
長々とプロフィールをお読みいただき、ありがとうございました。
ではまた。
とじー
とじーのプロフィール
自由な複業ブロガー。9年間、経営コンサルティング会社に従事し、中小企業の業績アップに携わる。より自由なパラレルワークを実践することと、子どもがもうすぐ生まれることをきっかけに退職(2018年12月末予定)。他人の枠に縛られず、人生を自分らしく、自由にデザインしていくことをテーマにしたブログです。仕事、働き方、お金、人間関係、読書、学習、旅、趣味、プライベート、結婚、子育てなど、幅広くお伝えしていきます。