人生は幸も不幸もすべて自分しだい 〜カンボジアで出会った11歳の少年から学んだこと〜

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大学生の頃に訪問したカンボジアで出会った少年から学んだことが、その後の僕の人生を180度変えてくれました。それは、「人生はすべて自分しだい」だということ。

 

カンボジアという国

僕は旅が好き何ですが、これまで何度か「人生を180度変えてくれるような旅」に出会ってきました。(そんな「人生を変える旅」に出会うための3つの極意を、別途記事にしたのでよかったらご覧ください)

そして、僕が21歳の大学生の頃に訪問したカンボジアは、まさに「人生を変えてくれた旅」になりました。

みなさんは、カンボジアと言えば何を思い浮かべますか?

はい。もちろん、アンコールワットですよね。

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確かに、アンコールワットは確かに息を飲むほどの素晴らしさを誇っていました。

でも、カンボジアという国に行って最高に良かったのは、そこで出会った人たちによって、僕の価値観が大きく変わったことです。

僕は当時、大学生で、就活を終えて4ヶ月くらい経った頃でした。大学生のうちにやりたいことは全部やろうと思っていて、そのひとつがカンボジアに行くことだったんです。

カンボジアの小さな村に到着

カンボジアでは、狭い世界にいた僕の価値観を変えてくれるようなたくさんの体験ができました。

その中でもとりわけ印象的だったのが、カンボジアの小さな村で出会った11歳の少年との会話の中で学んだことでした。これが僕の価値観を180度変えるような気づきを与えてくれたんです。

シェムリアップというカンボジア第2の街(この街の近くにアンコールワットなどの遺跡があります)から、車で2時間くらいかけて、舗装されていないガタガタ道を行った先にあった、小さな村でした。

今はだいぶ道路も舗装されていると思いますが、当時は空港からシェムリアップまでの道は舗装されたという程度でしたし、地雷は大部分がようやく取り除かれたというくらいのときでした。だから、シェムリアップの街から少し車で走ると、ほぼ舗装されていないような状態でした。日本に住み慣れていた僕は、この辺りからもう新鮮でした。

その村は、電気も通っていないような村でした。そして、そこでどんな暮らしをしているのか、実際に家にも入れてくれました。

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骨格は木材でしたが、床は布のようなものが張ってあり、「破けてしまうから布の部分には乗らないように」と注意喚起を受けました。

ちなみにカンボジアは高温多湿なため、床は高床になっています。

その日陰で子どもたちが遊んでいました。

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僕は日本から鉛筆やノートをたくさん持ってきたので、子どもたちにあげるととても喜んでくれました。

そして、この家の長男の11歳の少年と通訳を介して話す機会がありました。

11歳の少年との会話の中で気付かされたこと「人生は幸も不幸もすべて自分しだい」

学校に行きたい

その少年は、11歳でなんと9人兄妹の長男の子でした。カンボジアは90%が農民(当時)ですから、人手としても兄妹が多いのは一般的のようです。

その少年は「学校に行きたい」と言っていました。「学校に行って勉強したいんだけど、今はできてない」とのこと。学校は歩いて1時間くらいのところにあるのに。

「なんで学校に行けてないの?」と聞くと、私が訪問したときは雨季で、農業ももっとも忙しいときだったそうで、この少年は家の農業の手伝いもしなければならないし、弟や妹の面倒も見ないといけない。だから勉強したいけど学校に行けていない。そういう状況でした。

「日本とだいぶ違う・・・」僕はそう思いました。

勉強したい理由

そして、「なんでそんなに学校に行って勉強したいの?」と質問すると、「カンボジアには医者が少ないんだ。だから僕が勉強して医者になりたいんだ」と答えてくれました。僕は衝撃を受けました。

「うわっ!オレ、この子みたいにやりたいこととか、勉強する立派な理由とか持ってなかったわ・・・!」

そして、「日本の教育と全然違う」とも思いました。かたや「誰もが義務教育を受けられる環境があるのに、勉強する理由を見失ってる国」がある一方で、「勉強したい強い理由があるのに、勉強する環境が整っていない国」がある。

僕も含めて日本は、勉強する理由って言ったら、「テストで良い点取る」とか「有名な大学に行く」とか「大企業に入る」とか、そういうことがほとんどです。

僕は、自分が恥ずかしくなりました。学校に行けることとか、好き勝手やらせてもらっていることとか、どこかで当たり前と思っていました。それなのに、この子ほどの未来に対する強い動機づけを持てていない。

ものすごくこの少年をリスペクトする気持ちが芽生えました。

「あなたは今、幸せですか?」「幸せです」

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僕は「もっとこの少年が感じていることを知りたい」と思って、「あなたは勉強したいけどできていない。鉛筆やノートも十分にない。そんな状況だけど、あなたは今、幸せですか?」と質問してみました。

するとその少年は、「幸せです」と即答しました。

そして「弟や妹もいて、家族と過ごせて幸せです」と言いました。

カンボジアに行ったことのある方なら感じられたことがあるかもしれませんが、カンボジアの子どもたちって、ものすごく可愛いし、何より目が驚くほど綺麗なんです。このときの少年も、「あ、この子、絶対に嘘ついてないわ」って確信できるほど、綺麗な目をしていました。

僕は本当に恥ずかしくなりました。心のどこかで、「先進国である日本」と、「途上国のカンボジア」という線引きをしていて、そんなつもりはなかったけど、自分たちの方があたかも上層の人間であるように思っていたのかもしれない。でも、その認識は間違いだということに気づきました。

僕がこのとき気づかされたことは、「人生は幸も不幸も、すべて自分しだい」ということ。

これは僕の人生における、生きる指針、軸、座右の銘になりました。

もし僕がこの少年と同じ状況だったら、もしかしたら不満を抱いていたかもしれない。不幸だと感じていたかもしれない。

それなのにこの少年は、「幸せだ」と感じている。

だとするならば、環境や状況がその人の「幸・不幸」を決めるのではなく、「その状況を自分がどう捉えるか」によって変わるんだ!

ん?待てよ?ということは、その状況をどう捉えるかを自分の心がコントロールできれば、これから起こる出来事に対して自分で意味付けができて、極端な話、何が起きても「幸せだ」と自分の心が捉えてしまえば、そうなるんじゃないか!

これまで僕は、恵まれた環境にいる人の方が幸せなんじゃないかと思っていました。お金がないと幸せになれないのだと思っていました。でも、必ずしもそうではないことに気づけた。

恵まれた環境にいても「もっともっと」とか、「なんでアイツはもっとこうしてくれないんだ」とか思っていれば、その状況は幸せではないかもしれない。一方で、はたから見れば不遇な状況でも、「楽しいな」「面白いな」と思ってしまえば不幸じゃない。

幸せかどうかなんて、そんなもんなんだ。

起こった出来事自体にはなんの意味もない。それを自分がどう意味付けするかなんだ。

「人生は幸も不幸も、すべて自分しだい」

この発見は、まさに僕の中では「コペルニクス的転回」とも言える大発見でした。

本当に「すべてが」自分しだいなのだと気づいてしまったのだから、この先何が起きても怖くはない。会社をクビになろうが、恋人にフラれようが、何が起こってもその状況を自分の中で「幸」にできるんだ。たとえその瞬間は辛かったとしても、過去に起こった出来事もどう意味付けするかは後から変えられる。

「これって最強じゃん!」「もう怖いものなしじゃんオレ!」

起こった出来事に意味付けするのは自分

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そうか、朝起きて雨が降っていたら「今日は雨が降ってる。ラッキー!新しく買ったお気に入りの傘が使えるな!」と思えばいいんだし、電車が遅延しても「ラッキー!最近読めてなかった本を読めるぞ!」と思えばいいんだ。

いちいち腹を立てて、自分の心をわざわざ自分で害する必要はないんだ。

というか、雨や電車の遅延が、自分の心を害している要因だと思っていたけど、実はそうじゃなくて、その状況を不快だと決めつけている自分自身が要因だったんだ。

僕はそれからというもの、あらゆる状況に対してプラスに意味付けすることができるようになりました。もちろん人間だから、その瞬間は嫌な気持ちになることだってたまにはあるけど、基本的には「人生は、すべて自分しだい」だと思えて、未来が明るくなりました。

お互い、自分の心をコントロールされずに、自分でコントロールして、常に穏やかな心の状態を保って生きていきたいものですね。みんながそうやって暮らせれば、今よりちょっと世界が平和になると思いませんか?僕は真面目にそう思っています。だからこそ、自分がまず実践!そんな気持ちで暮らしてます。

自由に生きるって、こういう「心の自由さ」を自分でコントロールして、自分で「幸・不幸」を決めることなんだと思う。

自分以外の他人や環境に決めさせてはいけない。支配されてはいけない。それは自由ではない。自分の人生を生きているとは言えない。

そんなことに気づかせてくれたのが、カンボジアの少年でした。

このときのカンボジアでの出会いに感謝!

僕はあの頃のことは忘れてないよ!ありがとう!^ ^

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カンボジアの子どもたちがくれた手作りのプレゼント

ではまた。

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とじーのプロフィール

自由な複業ブロガー。9年間、経営コンサルティング会社に従事し、中小企業の業績アップに携わる。より自由なパラレルワークを実践することと、子どもがもうすぐ生まれることをきっかけに退職(2018年12月末予定)。他人の枠に縛られず、人生を自分らしく、自由にデザインしていくことをテーマにしたブログです。仕事、働き方、お金、人間関係、読書、学習、旅、趣味、プライベート、結婚、子育てなど、幅広くお伝えしていきます。